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自分40年史 (保育園)

4歳 - 親子遠足 自分の記憶をたどってみると、3歳か4歳位からのことしか覚えていない。それも、大半はぼんやりしたものだ。ちょうどそれくらいから保育園に通ったのだが、最初の保育園は馴染めず、3ヶ月くらいで辞めたらしい。当時は人見知りが激しく、知らない人と喋ることなどできなかった。人見知りは小学校を卒業するくらいまで続いた。

今の実家に引っ越してきたのが、確か5歳のときだったと思う。当時の人口が1万人に満たない小さな町で、通った保育園は1学年に1クラス。全員が同じ敷地内の小学校に持ち上がりだった。この保育園には馴染め、友達もできた。

保育園時代の記憶で、強烈に焼き付いていることがいくつかある。どれも今の自分の原型とも言える出来事である。

1つ目の出来事は、母が漕ぐ自転車の後ろに乗っていたとき、かかとがスポークに引っかかり、血だらけになってしまったのに、声ひとつ出せなかったこと。もちろん痛かったはずだが、痛いと言えず、ずっと我慢していた。後で気付いた母がびっくりし、何故すぐに言わなかったのかと聞かれたが、うまく答えられなかった。

実は、未だにとっさのことに声を出せないことが多く、「危ない!」とか「すみません」という、普通なら反射的に出るような言葉が出てこない。正確には、心の中では瞬時に叫んでいるのだが、それが声になって外には出てこない。

また、相手のことを非難したり間違っていると指摘できず、自分さえ我慢すれば済むとか、まずは自分の悪いところを直してからと思ってしまう。血だらけになっても、かかとをスポークに引っかけた自分が悪いと思ってしまうのである。それは今も変わらない。自分の考えが相手に通じていなければ、自分の説明が悪いと思い、自分が頼んだことが期待通りに成されていなければ、自分の頼み方が悪かったのか、頼む相手を間違えた自分が悪いのだと思ってしまう。

2つ目の出来事は、親子遠足の時、母が敷物を忘れてしまい、仕方なく新聞紙の上で食べなくてはいけなかったのが、この上なく恥ずかしかったこと。新聞紙の上で食べるのが堪え難いほど格好悪く感じ、かと言って芝生の上で食べるのは芝生が痛くてとても食事どころではなく、どちらも嫌だとダダをこねたのをよく覚えている。結局、どうやって食べたのかは、全く記憶にない。

30代の前半くらいまでは、周りからどう見られているかを気にし過ぎていたように思う。優等生タイプに見られがちなのは、そういうのが影響しているのかもしれない。さすがに今は、もう少し気にした方がいいくらい、鈍感になってきた節があるが。

そして3つ目の出来事は、同じく親子遠足の時、広島空港での集合写真の際に、何故か泣きじゃくり、ひとりだけ先生に抱っこされて記念撮影したこと。どうして泣いていたのか、自分でも全く覚えていない。その頃から、精神的に弱かったのかもしれない。


自分40年史 (はじめに)

ちょうど1ヶ月後に、40歳を迎える。不惑には程遠く、未だに迷い悩むことが多い。特に30代半ばからは、キャリアパスを描けなくなり、不安の増幅と自信の喪失を繰り返してきた。その結果、気分の浮き沈みが激しくなり、何度も鬱を経験してしまった。おそらく、どの会社にいても、このままでいいのだろうかと問い続けていたと思うが、どうしてこんなにまで自信を失ってしまったのだろうかと思う。

ネガティブなことは絶対に文章に残さないと決め、ブログにも(最近はさぼり気味の)日記にもポジティブなことしか書いてこなかった。しかし、自分は何に対してコンプレックスを持っているのか、そこがはっきりすれば、自信を取り戻すヒントになるんじゃないかと思い、自分の人生を振り返って主に自分の性格や才能に関する記憶を書き出すことにした。

わざわざブログで公開するような内容ではないが、自分でいつでも読み返せる最適な場所がこのブログであり、自分を取り巻く人にも本当の姿を理解してもらえるよい機会ではないかと思い、このブログを使うことにした。


本日放送されたTBSドラマ JIN -仁- の第8話で、今の自分の心理状態とすごく被るシーンがあった。主人公である仁の護衛を任されている恭太郎が恋敵とも言える歌舞伎役者に土下座してお金を工面した後に、自分にできることはこんなことしかないし、そもそも言いつけられた護衛すらできていないと嘆くシーンだ。龍馬は、それが仁しか作り出せないペニシリンを守ったことにつながり、それはすなわち国を守ったことになるのだと大いに讃え、仁も、最初に出会ったときに見ず知らずの自分のことを命がけで守ってくれたおかげで、今も自分はここにいられるのであり、恭太郎以上の護衛はこの世に存在しないと深く感謝した。恭太郎は、龍馬のように国を動かすような大きなことができる訳でもなく、仁のように突出した才能を持つ訳でもなく、自分の器の小ささを嘆き、でも、そんな自分のことを評価してもらえたことに対する嬉しさなのか、泣き崩れた。

最初の会社を辞めてから、今年でちょうど10年が経つ。高校受験も大学受験も、目標校ではなく実力相応校にしか進学できなかった自分にとって、身の丈以上の存在に思えた憧れの会社が最初の会社であった。そこで多くの優秀な先輩と同期と後輩に出会い、多くの刺激を受け、多くを学んだが、思うところあって辞めた。おそらく、辞めたというより、脱落したのだと思う。

それからの10年間は、最初の2年間を除けば、不安の増幅と自信の喪失ばかりである。今の会社では何度も鬱を経験した。未だにこのままだと鬱になると感じることがある。年齢を重ねるに連れ、確実に以前よりもできることは多くなっているのだが、同時に己の器の小ささや才能のなさを強く感じるようにもなった。会社の同僚と話しているときですら、己の才能のなさに気付かされる場面に何度も遭遇した。まさに、恭太郎の心境である。

最初の会社では、ありがたいことに優秀だと言ってもらえることが多かった。今の会社で初めて鬱になり、先輩に仕事を引取ってもらった際も、よくできているじゃないかと褒めてもらえた。でも、どうしても一流に到達しているとは思えない自分がここにいる。一流になるために努力できていない自分がここにいる。がむしゃらにがんばるしかないのだとは思うが、なかなかそれができない。こうやって、どんどん一流との差が開く一方なのだろうか。


沖縄旅行 2009 (4日目)

朝はちょっとがんばって6時半に起床。沖縄の初夏を思わせる陽気にすっかり慣れてしまい、東京に戻るのが億劫ですdespair。ちなみに、朝の気温差がこんなにありますsweat01

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家族で順番に風呂に入り、朝食のブッフェに向かいます。沖縄に来てから7回食事をしましたが、ついに全てブッフェになってしまいましたcoldsweats01

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10時前にチェックアウトして、タクシーで那覇空港に向かいます。ちょうどお昼ご飯の時間は空の上なので、コンビニでおむすびを買ったら、息子タイガは10時半過ぎにいきなり食べ始めましたgawk

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そして、売店で木製の蛇のおもちゃを見つけ、さっき手にしたばかりの今月の小遣いで購入し、ご満悦ですgawk

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2時間半のフライトを終え、羽田空港に着いたのが14時過ぎ。飛行機からボーディングブリッジに移った途端に何と寒いことbearing

平日だというのに、環八は渋滞気味で、自宅に着いたのは16時前になってしまいました。タイガはその40分後には塾に向かうハードスケジュール。でも、11月の沖縄は過ごしやすく、また訪れたいホテルも見付かり、非常にいい旅行でしたhappy01。次回の沖縄は、受験が終わってからだなぁconfident


沖縄旅行 2009 (3日目)

この日も8時くらいに目覚め、ひとり朝風呂です。少し後に起きた妻アスカは、大浴場に行っていました。朝食はもちろんブッフェですcoldsweats01

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食後、今日の予定はどうしようかと、しばし、家族会議。このホテルが気に入ったし、息子タイガは何かを作りたいというので、ホテルの手作り工房で作品を作ることにしますconfident

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チェックアウト後、チェックインのときにもらったスイーツ利用券を使って、のんびりと休憩。スイーツ付きの宿泊プランだったのですが、1日限定10組のスイーツだったようで、ちょっと得した気分。なかなか美味でしたwink

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何を作るか選んでいたので、トイレに行ったついでに、ちょっと売店を覗いて戻ってきたら、既に作品は完成していましたsweat01。ちなみに、ニモをイメージしたそうですhappy01

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12時になりましたが、まだお腹が空いていなかったので、海を眺めながら、ちょっとまったりconfident

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昼食は、タイガの強い希望で昨晩と同じレストランでブッフェですcoldsweats01

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食後はタイガがもう1つ作品を作るというので、付き合うことにします。下絵を描いて、木工ボンドを塗った上にそれぞれの色の砂を盛って定着させて絵を作るのですが、なかなかお手本のようになりませんsad。今回は諦め、志半ばで切り上げることにしましたdash

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結局、ホテル棟から出ることなく、プライベートビーチには行かずじまいでしたが、次のホテルへ向かって出発します。16時過ぎに到着しましたが、普通のホテルとは違い、フロント横のソファに案内され、ウェルカムドリンクを飲みながらチェックインの手続きを行ないました。従業員の方はどの方も挨拶が徹底していて、非常によく教育されているという印象ですconfident

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部屋は比較的ゆったりした間取りで、風呂とトイレが独立していて、洗面台も非常に広々としていました。そして、部屋の目の前は港が広がっていますwink

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夕食までは3時間以上も時間があったので、温泉につかってのんびり。アスカはマッサージを呼んでのんびり。それでも時間が余ったので、売店を覗いているうちにいい時間に。夕食もブッフェにしましたが、全国の郷土料理フェアをやっていて、沖縄にいるのに北海道のちゃんちゃん焼きや名古屋のひつまぶしなど、いろんなものを食べられましたhappy01。でも、タイガはほとんどカニとデザートだけでしたgawk

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お腹も満たされ、旅の疲れも溜まってきたこともあり、22時になる前にひとりで先に寝てしまいましたsleepy