自分40年史 (中学校)
2009/12/02
中学は町内に1校しかない公立校に進学した。中学受験をする人は皆無だったので、町内にある公立小学校5校を単純に合体させたような状態で、1学年で6クラスだった。新校舎ができるまで、校舎は全て平屋建てだったくらい、とにかく田舎だった。
入学式では5校の卒業生が持ち回りで式辞を担当することになっていたが、入学した年は偶然にも自分の小学校の順番だったので、生徒代表として式辞を行なった。そのせいもあり、卒業生32名の小学校だったにもかかわらず、瞬く間に顔と名が知られてしまった。
自分が卒業した小学校は築30年を超えた木造校舎だったため、他校の出身者からは校名をもじって乃美尾(のみのお)原人とからかわれていたが、何故か自分だけはその対象外であった。こんな感じで、優等生タイプだったが故に同級生から特別な扱いを受けることはよくあった。
他人と同じなのが大嫌いで、普通なら学校で一斉に買う学用品も、自分で選んだ製図セットや美術セットを買ってもらったり、通学用の自転車も絶対に他の生徒と重ならないようなものを選んだ。また、新しいことを仕掛けるのも好きで、学校でパソコンを流行らせた。この頃から、流行に乗る側ではなく、流行を作り出す側にいたいと考えていた。
部活動は卓球部にした。理由は、近所の祖父母宅に卓球台があったので少し経験があったことと、入学した年に新設された部で、先輩がいないと思ったからである。入部してみたら、他の部から転部してきた先輩がいたのだが、この頃から古い慣習に縛られず、新しい組織やルールを作るのは好きだった。だから、顧問の先生に坊主を強要されたり、練習中の水分摂取を禁止されたときは、すごく反発した。科学的に意味がないという新聞記事を見つけて抗議したこともあったが、結局は従わざるを得なかった。この先生は1年生のときの担任でもあったが、中学校は小学校と違って生徒自身が自分で考えて決めるところだと言いながら、いつも自分が決めたレールにはめる人だったので、文字通り反面教師として捉えていた。
学校の成績は常に上位だった。特に英語は3年間の最低点が94点で、満点以外は興味がなかった。しかし、あくまでも同じ中学校の中でという閉じた世界の話であった。3年生の夏から通い始めた塾で、本当の実力を思い知らされることになる。
入塾テストを兼ねた県内統一模試では、いきなり国語で1位を取ってしまった。しかし、主要5科目の内、最も苦手なのが国語だったし、見たことのある問題だったような気がする。明らかに実力ではないというのがわかっていたのに、塾の先生はダイヤの原石でも発見したかのような感じになり、志望校ももっと上位校を狙えと、一番上のクラスに入ることになった。
ここからが大変だった。授業のペースは早く、宿題の量も難易度も半端じゃないので、塾の授業が終わった後は自習室でひたすら宿題。当然終わらないので家に帰っても宿題。寝る時間になっても終わらないので、朝起きて塾に行く直前まで宿題。そして、宿題が終わらないまま塾に向かい、授業を受ける。風呂、トイレ、食事以外は、常に勉強。夏休みは1日に14時間勉強する日が続いた。30人弱のクラスだったが、確実に自分より頭がいい連中ばかりで、学校とは次元の違う刺激に満ちていたが、追いかけるだけで精一杯だった。
課せられた志望校は、こんな感じであった。
- 国立高校 : 県内で最難関。共学。記念受験校。
- 私立高校 : 県内私立校で最難関4校のうちの1校。男子校。目標校。
- 公立高校 : 学区外受験は定員の5%制限があったため学区外だと県内公立の最難関。共学。6校選抜制で第一希望が通るか保証なし。実力相応校。
1.と2.は僅差だったが、2.と3.は明らかに開きがあった。実際、1.と2.はかなり難易度の高い問題を解く力が必要だが、3.は学校で習う範囲の問題を取りこぼすことなく得点を積み重ねて満点を狙うという具合に、必要な能力も全く異なる。
2学期も塾に通い続け、ひたすら勉強を続けたが、なかなか1.や2.の水準には達しない。仮に2.に合格しても、中学から内部進学した生徒は授業が進んでいるため、高校から外部入学した生徒は英語と数学に限って週に2回の補習があった。入学後も授業に着いて行くために、ひたすら勉強が必要だ。しかも、男子校。
冬休みが近付いた頃には、2.を志望校として、こんなにしんどい勉強をし続ける意味を見出せなくなってしまった。そして、塾を辞める決意をし、両親にそれを伝え、3.を志望校にした。塾の教室長からは説得の電話がかかり、大学までのことを考えろと言われたが、名前を知ってる大学なんて東京大学と広島大学くらいで、違いもわかっていなかったのに、大学の話をされてもピンとこなかった。だが、両親は自分の意思を尊重してくれた。
塾を辞めてからは独学で勉強し、3.に見事合格した。6校のうち、第一希望に入学することも叶った。実は、6校の希望順も、親の意に反して、こっそりと自分の希望校を第一希望にし、合格発表の後で事後報告した。
1.と2.は挑戦したものの完全敗北。当然の結果だったが、自分の中では自分で決めたことを貫き通すことができて、喜び以外何もなく、充実感でいっぱいだった。また、同じ中学からの進学者がいなかったのも開放感を感じた。中学では、周りの人が優等生の型をはめてしまい、そこから逸脱した行動をとると「あのxxくんがそんなことするの?!」と言われ、本当の自分を出せないのが実に窮屈だった。素の自分を出せる環境を手に入れられることになり、本当に嬉しかった。
ただ、今思えば、塾を辞めてしまったのは、挑戦せずに逃げたということだったのかもしれない。行くかどうかは、合格した後に考えれば済む話なのに、挑戦する前に脱落したのだと思う。
そして、進学した公立高校は、思い描いていた学校とは違っていたことに、入学した後で気付くのであった。
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