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自分40年史 (苦悩と決断)

29歳 - 送別会にて異動先の名称はネットワーク・コンピューティング事業推進 EC事業推進。前身となるクロスインダストリー事業部の流れを汲み、当時のIBMが提唱していたe-businessを各インダストリー担当の事業部に代わって具現化するのがミッションであった。その中でも、電子即時決済を伴うECサイトを専門に構築する部署に配属された。

今でこそ、楽天を始めとするネットショッピングのサイトは珍しくもなく、支払い方法もクレジットカードの他に銀行振込やコンビニ払いや代引き等、さまざまな方法から選べるが、当時(1997年)はネットショップを構築するソフトウェアもサービスもほとんどなく、さらに即時決済というのは日本では前例がなかったと記憶している。

最初の仕事は、IBM総合フェア(日本IBM単独開催の展示会)の入場者向けに、電子マネーを体験するためのWebサイトを構築するプロジェクトだった。これも今でこそ、PASMOやEdyなど、電子マネーは身近な存在だが、当時は渋谷限定で実証実験が行なわれた程度で、そもそも電子マネーって何なの? という時代であった。システム開発やコンテンツ制作だけではなく、会場案内役の新入社員30名程度を率いて、先輩たちと一緒に会場運営にあたったのもいい経験になった。

次の仕事は、地方銀行19行との共同実験プロジェクトで、部署の本業である電子即時決済を伴うECサイトの構築であった。ここで初めて日本IBMのシステム構築手法であるADSGを経験し、本物のお客様ともほんの少しだけだが接することができた。構築したシステムは、日本では前例のないもので、使用したIBM製品も英語版しかなく、英語でもまともな情報がなかったため、試行錯誤が続く大変なプロジェクトであった。

一方、時代の最先端を行く仕事でやりがいもあり、誇りを感じられる部署であった。SEとして同期の連中と同じ土俵に立つことができ、開く一方であったSEとしての経験も、少しずつではあるが差を縮められているような気もした。部署の先輩方も優秀で楽しい人が多く、新人研修で製造開発系から営業/SE系の研修に移ったときのような華やかさがあった。

その後、比較的短期間のプロジェクトを経て、1年を超えるWeb系としては長期のプロジェクトに入った。情報誌大手の某社が海外旅行の代理店業務に進出するためのWebサイトを構築する案件である。外注先も合わせれば総勢70名を超える要員で、担当していた販売サイトのチームだけで、小さな雑居ビルの1フロアを貸し切っていたくらいだ。そこを拠点に、何度もお客様のオフィスに通い、部門ミーティングのときだけ日本IBMの配属先に戻る日々が続いた。

この頃から、再び葛藤が始まる。仕事自体は非常にいい勉強になるが、SEという職種が思い描いたものと少し違うことに気付いたのだ。元々は、モノを作る仕事がしたいという想いが原点でSEを目指したのだが、Webのコンテンツ制作の方が圧倒的にクリエイティブであった。お客様相手ではないし、まだまだ黎明期だったということもあるが、規模は小さいながらも自分で考えたことを自分なりに表現し、それを多くの人々に見てもらえることにやりがいを感じていたのだ。

ただ、日本IBMの中でWebのコンテンツ制作を本業にできる部署は、非常に限られる。NLS時代にお世話になったデザインセンターもその1つだが、プロのデザイナーでもない自分を必要としてくれるのかもわからない。かといって、IBMのような優秀な人々に囲まれた環境を捨ててまで転職する決心もつかない。SEとしてはまだまだヒヨコであり、これからも勉強することがたくさん残っていると言い聞かせ、日々の業務に向かったが、徐々にSEでいることのしんどさの方が大きくなってきた。

当時の所属長とのインタビューで素直に思っていることを話したが、「この会社にいる限り王道であるSEを外れることは得策じゃないし、SEの仕事も充分にクリエイティブだよ」と言われ、このままIBMにいても、SE以外の道は開けないと思うようになった。妻アスカが「そんなにしんどいんなら、好きなことをしたら?」と言ってくれたこともあり、密かに転職活動を始めた。

以前から興味のあった通信業界に絞って会社を探していたところ、偶然にWebマスターを募集している会社があった。書類を送り、待つこと1ヶ月。書類選考で落ちたかと思っていた頃に連絡があり、それから計3回の面接を経て、採用通知をもらうことができた。その時点で所属長に退職の意思を報告し、ちょうどプロジェクトが終わる2ヶ月後に退職日を迎えるようにした。実は、有給休暇の消化で8月はまるまる休暇だったのだが、休暇に入った途端に夏風邪を引いてしまい、真夏に寝込む日が続いた。それまでの緊張の糸が切れたのかもしれない。

8月末に行なわれた送別会には、本当に多くの方にお越しいただいた。部門長や所属長、同じプロジェクトでお世話になった先輩や後輩だけではなく、普段は陰で支えてくれた秘書さんや、仕事のつながりはなかったが近い部署にいた先輩や同期など、いろんな方々に囲まれた。これには、今でも感謝している。

転職を決めた後も、正直、この贅沢な環境から離れてしまうことへの未練は残っていた。でも、ずっと憧れていた通信業界で、天職と思えるWebマスターの仕事。捨てなければならないもの以上に、得られるものが多いと信じ、次の新たな環境への希望も膨らんでいた。

1999年8月、6年5ヶ月在籍した日本IBMを退職した。29歳で決断した、会社人生の中で最も大きな転機であった。