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ヒルトン成田 (2日目)

キングサイズのベッドは、家族3人で川の字になって寝てもへっちゃら。のはずが、布団の争奪戦になり、寝たような、寝てないようなgawk。妙な夢が続いたせいもあり、5時半に目覚めてしまいましたfuji。のんびりと起き、風呂にもゆっくり浸かり、9時から遅めの朝食。美味なのはもちろん、ひさしぶりにその場でオムレツを作ってくれるシェフがいるホテルで感激でしたhappy02。ちなみに、どうして西洋人はあんなにも巨大なオムレツを食べたがるのでしょうか。。。think

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食後も部屋でまったりしていたら、あっという間にチェックアウトの時刻。ヒルトン成田は、12歳までの子供は添い寝なら無料で、10歳までなら食事も無料です。みなさんも、是非good


ヒルトン成田 (1日目)

今年の夏から息子タイガは、ほぼ毎日が塾で多忙sweat01。そのせいもあり、例年なら金曜日に午後半休を取って、近場で一泊旅行をすることで定期的に息抜きをしていたのに、今年はそれもできず、親子揃ってお疲れ気味sad。年内の塾は昨日で終わりだけど、休みは今日から3日しかないし、せっかくの自分の誕生日くらいはのんびり過ごしたいthink。というわけで、都内近郊でリーズナブルでよさそうなホテルを探しているうち、ヒルトン成田にたどり着いたのでしたhappy01

15時チェックインなので、早めに家を出るつもりだったのですが、7時半から自分史の続きを書き始めたら、5時間もかかってしまい、あっという間に昼前sweat02。それから家事をすませて順番に風呂に入ったので、結局、家を出たのが14時半になってしまいましたcoldsweats01

ろくにご飯も食べてなかったので、途中の湾岸幕張PAでちょっと休憩。スタバでお昼代わりに、洋梨のタルトとスコーンを食べましたcafe

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16時過ぎにヒルトン成田に到着buildingちょっと広めのダブルを予約していたのですが、何とダブルブッキングで、スイートルームに無償でアップグレードしてもらえましたhappy02。これまでの誕生日で、最も豪華なプレゼントですpresent。ちなみに、子供の頃は、サンタからのプレゼントとお年玉でイベント続きになるからという理由で、誕生日プレゼントはありませんでしたcrying

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変な時間にスタバでおやつを食べてしまったため、お腹が空くまでは部屋でのんびり。20時になって、ようやくレストランに向かいましたrestaurant。夕食付きのプランだったので、コース料理だったのですが、最初のミネストローネから、期待以上の激ウマhappy02。前菜のスモークも美味lovely。メインに選んだチキンのグリルも、デザートも、すべてが美味しかったです。よかった、ヒルトンにしてcrying

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さて、食事を終えたあとのエレベータホールでの出来事。ドアが開いたエレベータに向かうと、中から出てきた外国人のおじいさんが、いきなり英語で「このカメラはどこのメーカーなの?」と話しかけてきました。「あぁ、これはSONYですよ」から始まり、あれこれと質問され、途中で「日本人なの?」と聞かれたので、「そう、日本人」と答えたところから、今度は日本語で話し始め、互いに日本語と英語が入り交じった状態で、その場で5分くらい立ち話。「このレンズは35mm換算で何ミリ?」とか、カメラに詳しそうな感じでしたが、なんでも、南青山にお住まいのお嬢さんが同じカメラを持っているらしく、「ボディだけ買ってレンズを買わないのっておかしいよね」と話していました。外国人が多く泊まるヒルトン成田ならではの出会いでしたhappy01。でも、ご本人も言ってたとおり、ちょっと酔っぱらってましたけどcoldsweats01


自分40年史 (ようやくわかったこと)

2010年9月下旬から、統計的機械翻訳というものを担当している。Google翻訳で採用され、一躍脚光を浴び始めた、比較的新しい技術である。この仕事にかかわり始めて、自分が最も輝いていた頃の感覚と重なることが多くなった。

これまでは、ずっと、

  • 個人の生活を豊かにする事業にかかわりたい。
  • 通信業界かWeb案件のどちらかにつながっていたい。
  • いずれは経営者になるべきで、そこにつながる道を歩みたい。

と考えていたので、統計的機械翻訳は何も当てはまるものがない。むしろ、ローカライズの世界にどっぷりはまるようで、ちょっと避けたいとさえ思っていた。にもかかわらず、自分が最も輝いていた頃の感覚と重なることが多いのだ。

そして、つい先日、自分はどういう状態に満足するかに気付いた。それは、

  • 前例の少ない、最先端の分野であること。

という、極めてシンプルなものだった。そして、このシンプルな法則が、自分が最も輝いていた頃に、すべて一致するのだった。

  • Webとの出会いとWebコンテンツ制作
    • ブラウザの日本語化も不完全で、WebサーバもUnixのみ。
    • HTMLの情報もほぼ皆無で、あったとしても英語のみ。
    • コンテンツ制作ができる人は少なく、Photoshopも独学。
  • 即時電子決済を伴うWebサイトの構築
    • 当時は、日本に即時電子決済のWebサイトの事例なし。
    • SETというIBMが中心になって提唱したプロトコルも日本での採用はほぼ皆無。
    • 使用したIBMの製品も日本語版がなく英語版のみ。
  • ケーブルインターネット事業を行なうCATV会社でのWebマスター
    • 当時は日本で唯一のブロードバンドがケーブルインターネット。(ADSLの上陸前。)
    • MSOという日本のCATVでは珍しかった経営形態。
    • 企業におけるWebサイトの重要性が叫ばれ始めた時代。

そして、あの頃と同じように、統計的機械翻訳にも、このシンプルな法則が当てはまる。

  • 統計的機械翻訳
    • 欧米言語間では実用化が進んでいるが、日本語は大学での研究が中心で、民間企業における実用はこれから。
    • 日本語の情報は少なく、欧米言語を対象にした英語での情報がほとんど。
    • 欧米言語にはない、日本語特有の対応が必要で、工夫の余地が大きい。

今の会社では、長らく社内ITインフラの改善に携わってきたが、経営陣にはコア事業じゃないんだから人もカネもかけなければかけないほど望ましいということを言われ続け、そこに対する不満も大きかった。ITを活用すれば、仕事のやり方を変えることもできるというのは、10年以上も前から言われていることなのに、経営陣はこの規模の会社には必要ないという認識だった。

しかし、統計的機械翻訳は、会社の戦略上、非常に重要な位置付けだし、ITを活用しなければ実現できないコア事業でもある。(実際には、ITは必要な要素の1つに過ぎず、統計的機械翻訳の理論に加え、統計学や言語学など、幅広いスキルが必要とされる。)それに加えて、自分で見出したシンプルな法則も当てはまる。正直、同業他社の統計的機械翻訳の状況が完全に見えているわけではないが、伝え聞いた範囲では、先頭集団を走っているという実感がある。今なら、このネタで修士論文が書けるというくらいの自信はある。それくらいの手応えを感じている。

この10年間は、会社人生においては、低迷期そのものだった。そこで一緒に仕事をしてきた方には申し訳ないが、自分にとってはそうだった。でも、「前例のない、最先端なことにかかわれること。その状態に自分は満足する。」という、シンプルな法則に気付くために必要な時間だったんだと思う。

同時に、自分の思い込みから解放されたことにより、可能性がすごく広がった気がする。このシンプルな法則に当てはまるものは、数多く存在するからである。統計的機械翻訳も、あと2-3年もすれば、どの会社も当たり前のように使う、成熟した技術になると思う。でも、このシンプルな法則のおかげで、次の興味の対象はいくらでもあるはずだ。

今日で41歳になった。もがき苦しんだ30代を経て、40歳の終わりに、ようやく長い長い暗闇から脱することができた。この先もいろんなことがあるだろうが、仕事に関しては、自分で見出したシンプルな法則に身を委ねようと思う。この先、自分がどう成長していくのか、楽しみだと思えるようになった。


自分40年史 (光の正体)

メールの送り主は、日本IBMの最初の配属先の元所属長(課長相当)だった。あるお客様の担当者の後任を捜していて、うちの会社に転職は考えられないかという内容だ。元所属長は既に日本IBMを退職しており、ローカライズを事業とする関連会社で取締役をしていた。社長も元上司(部長相当)で、何名か知っている先輩もいた。正直、ローカライズには全く興味がなかったが、当時勤めていたベンチャー企業は会社そのものがいつまで続くかわからないし、自分のキャリアにどうつながるかも見えてなかったこともあり、直接お会いして話を伺うことにした。

おふたりとお会いするのは、日本IBMで最初に異動して以来だったので、約6年ぶりであった。会社の状況や方針を伺うことはできたが、具体的に自分がどういう仕事をするのかは、実は不明確なままであった。Web関連の案件にかかわれそうだというところまでわかったのだが、ローカライズ絡みの案件なので、いわゆるWebマスターとも違う。

しかし、何年もお会いしていなくて、今の自分の仕事ぶりを知っているわけでもないのに、かつての上司が自分のことを思い出し、声をかけてくれたのである。自分のことを必要としてくれる場所があるのなら、興味があるとかないとか関係ないのではないか。そう思うと、断る理由はなかった。年収が大幅にダウンするのもわかっていたが、交渉もせず、逆に自分の値段を付けてくれとお願いし、提示額をそのまま受け入れた。

2003年6月後半から外注扱いで実務に入り、7月に正式に入社をした。これが現在も勤めている会社である。

顔見知りの先輩が何名かいたということもあり、溶け込むのに時間はかからなかった。しかし、自分の担当業務が確定していないまま入社したということは、すぐにわかった。あるお客様の担当者の後任であることは確かだったが、その業務だけですべてが埋まるわけではなく、極論すると自分がいなくても業務自体は回るようだった。最初の配属先の所属長も、自分がどういう経緯で入社してきたかをあまり聞かされていなかったようで、何をするかが決まってない人をいきなり送り込まれ、しかも、高待遇だと映る面があったらしく、扱いに困っていたようだった。

Web案件もルーチンワークしかないのが実態で、自分ができることをしていくうちに、社内SEとして社内のITインフラを整備する仕事がメインになっていった。直前に勤めていたベンチャー企業と比べれば、いろんな体制や仕組みが整っていたとはいえ、ITインフラを担当している部門は、専任で面倒を見るまとめ役がおらず、20代半ばのふたりの若者が無秩序に仕事をこなしていた。コストダウンをしながらITインフラを整え、同時に秩序をもたらすのが仕事になっていき、後追いでITインフラを担当する部門に異動することになった。

一方、入社から半年も経てば、業界の構図や会社の実態も見えてきた。労働集約型の下請け産業そのものだと気付いたのだ。無の状態から何かを創造するのではなく、お客様が提供してくれた文章を、別の言語に置き換えていく。もちろん、その課程でさまざまな工夫やノウハウが必要だとはいえ、そこにあまり付加価値はなく、単純な価格競争に陥りやすい、典型的な下請け産業であった。付加価値が少ないわけだから、社員の給料は安く、会社が利益を出したとしても、それは安い人件費という犠牲の上で成り立つものだった。

Webの仕事とは程遠い、社内SEの仕事。そして、がんばっても給料が上がらない、労働集約型の下請け産業。一筋の光に見えた正体は、こういうことだった。自分なりの成長を感じられることはあっても、必ずしもそれが世間から必要とされているものというわけではなく、同期との差は開く一方。

そんなことを感じながら、あるお客様の案件にかかわったとき、心が壊れてしまった。会社で急に涙が溢れ出して止まらなくなり、自分でコントロールができない状態になってしまった。取締役である上司の勧めで、日本IBMの産業医に診てもらい、更にその先生に紹介された別の病院でも診てもらった結果、鬱と診断された。その直接的な原因となった案件から外してもらい、本来は担当外の先輩に引取ってもらった。その先輩には、仕事はきっちりできているし、周りと比べて劣っているとは思えないと言っていただいたが、自分に自信が持てない状態はずっと続いた。

その後は異動を伴いながら、社内ITインフラの責任者を兼務したまま、さまざまな業務にかかわった。管理職ではないのに、一緒に働く社員の採用や勤怠管理をしたり、ある決まった範囲での少額決裁権を与えられたので、よく管理職と勘違いされた。入社直後から従業員代表をしていることもあり、就業規則が改訂される度に改訂内容の説明を受け、労働基準法を意識する機会も多くなった。社長室の配属だったときは、人材派遣業に引っ張り出されたり、機械翻訳の実験を担当したり、時に社長の愚痴聞き役だったり、何をやっているのかよくわからない状態だった。

もちろん、どんな業務を担当することになっても、自分なりの目標を定め、少しでもモチベーションが持続するように努めたが、自分に自信を持てないまま、いたずらに年齢を重ねていった。初めての鬱を経験した後も、何度も鬱状態を経験した。土日もやる気が起こらず、日曜日の夜になってようやく何かをしようかという気になったり、ひどいときは金曜日の夜からまた月曜日がやってくるという恐怖に襲われ、土日が一番精神的に苦しかったこともあった。ほんの数ヶ月前まで、こんなことは日常茶飯事だった。会社では悟られないように笑顔を絶やさないようにしていた分、家では沈み込むことが多く、家族にはずいぶんと迷惑をかけたと思う。

こんな状態が長く続いたので、昔からの友達に会うことは避け続けた。ここ1-2年は、ようやく会ってみようと思えるようになったが、つい最近まで「今、(仕事は)何やってるの?」と聞かれるのが、最も辛かった。この質問をされる度、自信のない自分を再認識し、深く落ち込んだ。

しかし、2-3ヶ月前から、急に状況が変わった。


洗濯乾燥機 再修理

埃の山 昨年の11月に我が家の洗濯乾燥機が全く乾燥しなくなってしまいましたが、そのときの再来とも思える兆候が現れ始めたのが先々週。乾燥が終わってるはずの洗濯物は、何だかじっとり生乾きsweat02。このままだと確実に乾燥しなくなるなと思い、パナソニックに連絡し、先週の土曜日に修理となりましたwrench

が、修理のおじさんは人の話を聞かないマイペースな人で、事前に埃フィルタで取れる埃の量が激減し埃が詰まっているようだと伝えていたにもかかわらず、埃が詰まってるはずがないと言い、まるで関係ない排水ホースが詰まり気味だとか、ヒートポンプユニットは問題ないとか、実に的外れな対応gawk。親切なのか何かわかりませんが、自分で問題ないと言ったヒートポンプユニットを交換し、これで様子を見てくださいと言い残して帰っていきましたsweat02

当然ですが、直ってるはずがありませんangry。翌日、またパナソニックに連絡し、今週の土曜日、再修理となりました。こうして無駄に時間が過ぎる間に、埃はどんどん溜まっていったのか、ついに、8時間経たないと乾燥しなくなりましたwobbly。おい、おい、普通に干した方が早いぞthink

そして、土曜日にやってきたのは、また、同じおじさんですsweat02。エラーコードを確認し、「旦那さん、この前と違いますsign01」と自己を正当化するかのようなアピールsweat02。今回は埃が詰まってるというエラーが出てると言い、埃の除去が始まりました。っつか、最初から埃が詰まってると伝えてるでしょgawk

まあ、出るわ、出るわ、埃の山。右上の写真の通りですcoldsweats02。たった1年で、こんなに溜まるのsign02 しかも、これを利用者自身がメンテナンスできないんですよsweat01。全く乾燥しないまで埃が溜まらないと、修理すら対応してもらえない。それもどうなのさthink

ま、とりあえず、乾燥機能は回復し、こんなにからっと仕上がるんだっけというくらい、きっちり乾燥してくれるようになりました。実は、保証期間を4ヶ月ほど過ぎていたんですが、前回の修理から1年しか経っていないということもあってか、今回も無償で対応してくれました。その点は感謝しますが、ちょっとお粗末な対応でしたgawk。昨年はちゃんと対応してくれたのになぁthink