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伊勢神宮への旅 (1日目)

きっかけ

数年前から伊勢神宮と出雲大社に一度は行ってみたいと思うようになり、休みが取れたので、思い切って1泊して車で伊勢神宮まで行ってみることにしました。実は、当初はパックツアーを使った日帰りを考えていたのですが、途中でバスが40分と80分という旅程だったので、だったら自分で運転するわと思い、車の旅にしました。

目標は9時出発だったので、普段、会社に行くときと同じように起きたものの、家事をやってるうちにあっという間に10時半。ま、車だからいいかと、いきなり言い訳。。coldsweats01

富士山

東名高速を走ると、90分くらい、ずっと富士山を見ることができるのですが、どこから見ても本当にきれいですよね。日本に生まれ育って良かったと思う瞬間です。

大井松田ICの手前辺り 富士宮の手前辺り

国産へのこだわり

新東名高速の浜松SAでは、思い切って浜名湖産の鰻丼を食べました。お値段、なんと2,797円也。でも、ここまで来て中国産を食べても後悔するだけなので、注文してしまいました。もちろん、とっても美味しかったです。

食は国産に限る

フェリーに挑戦

伊勢まで陸路だと、伊勢湾岸道から東名阪自動車道、伊勢自動車道と抜けるのですが、帰省で何度も通った道なので、行きはフェリーを使うことにし、豊川ICで降りて一般道を走って、渥美半島の伊良湖岬まで向かいました。

途中、ジャージにヘルメット姿の女子中学生の集団に遭遇し、思わずカメラを手にしてしまいました。いやぁ、東京じゃ、まず、お目にかかれない光景です。僕の実家の辺りは、今もこんな感じなのかなぁ。

のどかな風景

実は、船は飛行機よりも苦手で、15分程度の乗船でも、ほぼ間違いなく酔うのですが、今回は軽い頭痛で済みました。もっと大きな船なら、大丈夫なのだろうか。

フェリー乗り場 フェリー内

偶然の出会い

鳥羽から伊勢に向かう途中、コメダ珈琲の看板が目に入り、思わず駐車。以前、カンブリア宮殿でコメダ珈琲を取り上げた時の記憶が残っていて、一度はどんなお店か行ってみたいと思っていたので、嬉しい偶然でした。味はなかなかのものでした。

ピザトーストとミニサラダ コメダ珈琲の外観

20時過ぎにホテルに到着。明日は、早起きできるかな。。


伊勢神宮への旅 (2日目)

始まりは雨

いつもの時間に起きると、どこからとなくばちばち音が。ふと外を見てみると、なんと雨ではないですか。。coldsweats02 遠路はるばるやってきたのに、なんという運のなさ。軽く気分も凹み、のんびり準備しているうちに、あっという間にチェックアウトの10時です。

外宮 (げくう)

ところが、この頃には傘を差そうか差すまいかというくらいの小雨になり、ホテルで傘を借りて外宮まで歩いて行くことにしました。見知らぬ街を歩くこと15分程度で、外宮に到着。いよいよ、敷地内へと入っていきます。

外宮手前の外宮参道 外宮の入り口 外宮の説明

最初の鳥居をくぐり、手と口を水で清め、奥へ進みます。鳥居をくぐった瞬間から、ここだけ全く別世界です。伊勢神宮の本を買ったにもかかわらず、事前の予習をほとんどしないまま来てしまったため、とりあえず人の流れに合わせて奥へ奥へ。みんながお賽銭を投げ入れ、参拝しているところがあったので、まずは最初の拝礼。

が、なんと、ここが一番メインの正宮(しょうぐう)で、拝礼した場所からは直接見えない、ずーっと奥に正殿があったのでしたーcoldsweats02。なので、写真は右下の1枚のみです。ちなみに、正宮には天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事を担当している豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られているそうです。

最初の鳥居 いきなり森の中のようです 中央の巨木の向こうが正宮

敷地内には御池(みいけ)もありましたが、なんとも言えぬ神秘的な雰囲気でした。

御池

その後は、他の神々を祀ってある別宮を順番に参拝。20年に一度行われる式年遷宮のため、新旧の宮が混在する、すごい歴史的な瞬間に立ち会えたような気がしました。そして、自然の中にいろんな役割を持った神々が存在するという考え方は、日本の気候風土が生み出した思想で、とっても好きです。

土宮 風宮 多賀宮

その後、同じ敷地内にある式年遷宮記念せんぐう館に立ち寄りましたが、ここでとってもいい言葉に出会いました。これこれ、自分の中に漠然とあった気持ちを見事に言葉にしてくれてるっsign03 これは、別記事でちゃんと書きますね。

せんぐう館

この時点で、かなり気分が上がってて、これはお昼ごはんは後回しで、このまま内宮へ行ってしまえと、バスで移動することにしました。普段の旅行で、公共の交通機関を使うことは、まずありません。車が好きで、わざわざ伊勢まで自分で運転してやってきたくらいですから、どこに旅行しても愛車かレンタカーでの移動しか経験ないのですが、この時ばかりはホテルに戻る時間がもったいないと、バスに飛び乗りました。ちなみに、バス代は片道430円coldsweats02。田舎のバスって、高いんですね。都内はどこでも210円なのでびっくりしましたが、自分はかつて田舎で育ったことをすっかり忘れてました。

内宮前のバス停

内宮 (ないくう)

時間帯のせいかもしれませんが、外宮よりも圧倒的に参拝客が多く、平日の昼間だというのに、人で溢れかえっていました。内宮は総氏神である天照大御神が祀られている、いわば日本の神社の総本山のような場所です。

最初の鳥居 内宮の説明

五十鈴川を挟んで、人間が住む世界と神々が祀られている神域が分かれていて、この橋を渡って内宮の敷地に入ります。

橋の向こうから神域 五十鈴川

いざ内宮の敷地内に入ると、いきなり広がる広大な日本庭園のような、見事な景色です。あぁ、これぞ日本って感じ。奥へ進むと、外宮と同じように森の中に入ったようです。

玉砂利の右手が庭園 見事な庭園でした まさに神宮の森

本当は、手水舎(ちょうずや)で柄杓(ひしゃく)を使って手と口を清めた後、その先にある五十鈴川御手洗場(みたらし)で昔ながらに手を洗って身を清めるらしいのですが、そんなことは知らず、見事に通過。。coldsweats01

正宮へ通じる道の手前で川を横切る脇道があったので、軽い気持ちでちょっと寄ってみるかと。後から調べたら、風日祈宮(かざひのみのみや)という別宮で、後から参拝するべきなんだそうです。。coldsweats01 ちなみに、この神のお住まいも新築です。confident

風日祈宮の側面 風日祈宮 

外宮もそうでしたが、内宮も巨木ばかりでした。樹齢数百年とか、中には千年を超えた木もあると思います。過去の幾多の戦火を逃れ、2000年に渡る内宮の長い長い歴史と共に、ずっとこの場所で人々の生活を見守ってきたのかと思うと、自然の偉大さにただただ感動です。僕は子供の頃に山に囲まれた田舎町で育ったので、海を見てもなんとも思いませんが、木々に囲まれると本当にホッとします。

人と比べて大きさが伝わりますか? とにかく大きいです

そして、いよいよ正宮です。が、撮影できるのは、ここまで。外宮の正宮と同じくらいの大きさだと思いますが、不思議と内宮の正宮の方が神聖な気持ちになります。なんなんでしょうね。お賽銭も、神道の文化をこれからも継承して欲しいという寄付の意味も込めて、ちょっとだけ弾みました。

この先が正宮 

ここからは、順路に従い別宮を参拝。

教科書でしか見たことのない高床式だ 荒祭宮

式年遷宮を終えたばかりの今だから見ることのできる、新旧が混在した不思議な光景です。

たぶん御酒殿

そして、再び五十鈴川を渡り、元の世界へ戻っていきます。

橋の向こうは人の世

是非是非、また訪れたいです。来年も再来年も。年中行事にしたいと思ったほど、かつてなくツボにはまった、とてもいい経験でした。

反省

実は、事前の勉強不足で、いくつか失敗をしていたことが後からわかったのですが、一番の大失敗は「外宮と内宮の正宮では、願い事をするよりも、神様に日頃の感謝の心を伝えることが大切」ということでした。願い事は別宮でするんだそうです。知らなかった。。coldsweats01

確かに、神道って自然崇拝がベースにあると思うので、自然に対して感謝するという意味で、非常に納得です。人は自然の中で生かされていると考えているので、非常に腑に落ちます。

ちなみに、参拝の時は「家族と友人が健康で幸せでありますように」と願ったので、そんなに欲張ってないと思います。きっと。たぶん。

おまけ

内宮での参拝を終え、ゑびやでお昼ごはんを食べたのですが、塩焼鶏丼の出汁が激ウマで感動でしたーsign03

ゑびやの塩焼鶏丼


もっと日本を知ろうよ

日本の心

昨日、式年遷宮記念せんぐう館を訪れた際、「これだ!」と目に留まった文章がありました。館内は撮影禁止だったので、どうしようか迷った挙句、書き写すことにしました。

未来へ

神宮式年遷宮は
持統天皇の御代から
今も継続されています

繰り返すことによって
限りあるものを
永遠なるものにするのです

その発想の源は
稲作を繰り返して来たこの国の
国柄にあるのかも知れません

時代と共に暮らしぶりは変わりますが
国の歩みと先祖の営みは
決して捨て去ることはできません

進化の一方で伝統を守る
そのような国がこれからの国際社会で
信頼を得るのではないでしょうか

途切れずに続くことの尊さ
いつも古くて新しい
それが新宮の姿です

それこそが日本の心なのです

気付き

数年前、テレビ東京で放送している和風総本家という番組に出会ってから、我々日本人は自分たちが生まれ育った日本のことをなんて知らないのだろうと気付き、日本の文化や風習に強く興味を持つようになりました。また、ここ数ヶ月は、池上彰さんの初心者向けの解説番組や解説本を通して、三大宗教の違いとそれらが生まれた背景や、日本に根付いた神道と仏教について深く知りたいと思うようになりました。

我々日本人にとっては、毎年、春夏秋冬を繰り返し、季節ごとの海と山の幸に恵まれ、きれいで豊富な水に囲まれて暮らすことは、ごく自然で当たり前のことです。豊かな自然の中で人は生かされており、季節も生命も水も、全てこの世の中で循環するという環境で、日本に住む人々は何千年もの歴史を積み重ねてきました。

この循環の発想は、日本の風土が生み出したものであり、日本の文化の根幹ではないかと、つい最近になって気付きました。その全てではないものの、見事なまでに表現してくれていたのが、式年遷宮記念せんぐう館の文章です。

異国の宗教であった仏教の輪廻転生の考えを受け入れたのも、歌舞伎役者や落語家が同じ名前を代々受け継ぐのも、すべて循環の発想が根底にあるからではないでしょうか。日本人の心に宿る、最も大切な魂とも言える考えが、循環ではないかと気付きました。

自分自身

10代から20代にかけては、自分自身に歴史がないため、日本の伝統を古臭く感じて嫌い、新しいものや欧米諸国の異文化に憧れて影響を受けることが多かったです。学校の授業でも、歴史には全く興味を持ちませんでした。

30代になってから米国に倣えという風潮に違和感を覚え始め、40代になってからもっと日本のことを知りたいと思うように変化しました。

10代の頃は、伝統を守るとは現状維持のように感じていました。しかし、自分の子供が生まれ、親として何を残してあげられるのだろうかと考えるようになってからは、祖父母や両親から受け継いだ何かを自分の子供に伝えることも伝統の一部であり、また、伝統とは本質は守りつつもその手段や表現は時代に合わせて変えながら継承することなのだと考えられるようになりました。

グローバリズム(=単一化)がもてはやされていますが、私は嫌いです。インターナショナリズム(=多様化を前提とした現地化)にすべきと考えています。グローバリズムへのアンチテーゼとして、私自身に「もっと日本を知ろうよ」と言い聞かせています。